山崎 元さんご逝去の報に接し

 2024年の仕事始めである1月5日、早めの帰宅途中、Yahoo Newsで山崎元さんの訃報を知った。山崎さんに対しては特別深い理解があるわけではなく、1月3日大型書店に行った際に山崎さんの本を偶然手に取ったこともあり(初心者向けの金融資産関連の本)、何か心に留まるものがあった。

 ネットで調べると、’「癌」になって、考えたこと、感じたこと’というタイトルのブログが0から6回まであり、その日のうちに一気に読み、胸を打つものがあり、後日Youtubeなどで動画なども見た。

 一体何が心を打ったのか?私が思うに、癌を患った中で①最期まで発信を続けられたこととその誠実な姿勢、②情報の扱い方と客観的な判断をされている点、②その中で随所に知識人と感じる点ではないかと思う。以下にその具体例をあげる。

心を打った点

①最期まで発信を続けられたこととその誠実な姿勢

  • 人が最後に伝える言葉というのは、何物にも忖度のない、本当の自分の考えというイメージがあるし、自分も逆の立場であればそうなると思うし、またそうありたい。その意味では自分に残された時間が少ないことを理解したうえで、綴った個人のブログはそれ自体が胸に迫るものだ。ましてその状況下においてぶれることのない考え方(サンクコストの無視や、がん保険不要論など)は、私が理想とする生き方である。
  • 経済評論家という職業特性上、大口スポンサーには銀行、保険、証券会社などが期待できるが故人はそれを捨ててまで自身の意見を述べ続けていることを、後の動画(Youtube)で知ることになり、その誠実というか、誰にもこびない生き方も尊敬する。

②情報の扱い方と客観的な判断をされている点

  • 情報との付き合い方、割り切り感に共感する。私は情報を蓄えているだけで、それを生かしておらず、また生かせる情報収集ではなく、単に集めるのが好きという性質の性格を持っているが、これは何となく時間の無駄ということも感じるし、何よりも空虚な感があるので、今後は情報発信を意識して行っていきたい(英語学習の一環で英語でブログを綴るのはそうそうに頓挫した代わりに、このブログを活用したい)。なお、情報の扱い方に関して、以下の故人の考え方を参考にしたい。

情報については、多く集める事よりも、余計なものを捨てることがより重要だろうと思えた。例えば、たまたま癌が治ったという本人や周囲の体験談は、癌患者にとって魅力的だが、その体験には個別性・特殊性が大いにあって、判断のためのデータとしては、統計風に言うとサンプルが小さすぎて参考にならない(しばしばN=1だ)。しかし、個々のエピソードには大いに心を動かされるだろうから、体験記の書籍、体験談を元にしたアドバイスなどは「危険な情報」だ。
 一方、どのような治療法が有効なのかについて知りたいことに加えて、自分の今後がどのような確率と期待の下にどうなりそうなのかということの判断材料は是非欲しい。そのためには、信頼できるデータを背景とした情報が判断材料として必要だ。

③知識人と感じる点

  • 山崎さんは意思決定で「サンクコスト」(既に生じてしまって後から取り返しのつかない損失のこと)は無視して、今後に変えられることに意識を集中するような習慣付けがあることを知った。過去を今後の為に参考にすることは大いに重要と考えるが、後悔するためではない!まさにその通り!     
  • 飲酒と食道癌に関する考察の中で、この状況下において、ウイスキーは香りを楽しむお酒なので、愛好家の間ではストレートで、しかも常温で飲むのが良いとされるなどの蘊蓄があるのが私好みである。

余談ながら

 故人のブログで、自身の持ち物整理について綴られた点があるが、その中で、人間関係に関する以下の一節がある。今年は意識して取り組みたいとの思いから、以下に引用を記す。

結論から言うと、自分から頼んで時間を貰い、意見なり情報なりが欲しいと思う相手を、自分が選んで時間を使う、ということに集約される。それ以外にない。
 そうでない相手に時間を使うのは、癌でない平時であっても、本来は時間の無駄だと考えるべきなのだ。
 ただし、仮に直接会うとして、こちら側は癌患者なので、オフィスなり自宅なりに来て貰うようなわがままが通った場合でも、自分自身が相手にとって興味深い意見や情報を提供する用意があることが、本来必要な礼儀だろう。もちろん、用件は事前に相手に伝えるべきだし、出来る範囲でもてなす用意が必要だし、何よりも相手の時間を無駄にしない気遣いが大切だ。

最後に、故人に心からご冥福をお祈りする。

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